少し前に某ビスポークシューズのお店にお邪魔しました(目的はビスポークではなく既成靴です笑)。
非常に凝った内装に他のお客さんもいなかった為、ひどく場違いな場所であることをひしひしと感じながら、緊張気味に試着のお願いをしました。試着の際にはフカフカのソファーに腰掛け、若造の のすけ にも非常に丁寧に接客していただきました。
その時、ふと思ったのです。果たして自分はここで靴を買うに足る人間なのか?と。
革靴の格?
革靴の格付けなんて野暮なことはやるつもりじゃないんですけどね。どんな靴であろうとも愛着を持って手入れし、履いている靴がNo.1です。
ただ、上司がリーガル履いてる隣で、JMウェストンとか履いてもいいものなのか?と思ったりするわけです。
まあ普通の人から見たら「あ、あの人JMウェストン履いてる」なんて思わないんですけどね。結局は自己満の世界ですから。
それにしても、スコッチグレインを買うにも清水の舞台から飛び降りる覚悟を持っていた、あの時の自分は一体どこに・・・。
革靴と手入れと格
JMウェストンといえば、のすけ はゴルフを青山本店で購入したのですが、まだ学生くらいの方も来店されていました(お金持ちっぽい雰囲気はありましたが)。ストレートチップを探している様でしたが、足元を見るとゴルフを履かれていました。
ただ、そのゴルフがもうボロボロで、恐らくですがろくに手入れもされていないような状態でした。ゴルフを履くときも靴べらを使わず、カカト部分に指を引っかけて履いていました。
まあ他人の持ち物なんで、それを本人がどう扱おうが他人があれこれ言えることじゃないのは分かってるんですけどね。
ただ、そんな場面を見て、なんだかなぁと思ったわけです。
やっぱり、のすけ としては高級な靴ではなくとも、しっかりと手入れされている靴を履いている人のほうがカッコイイなと思うのです。革靴に限りませんが、物に愛着を持ってしっかり手入れしている人ってやっぱりいいですよね。
そう考えると革靴を大切に手入れする=その革靴を履くに足る人間、ということに・・・??
一点豪華主義はダメなのか?
日本人って意外と一点豪華主義的な人が多いですよね。なんでも、江戸時代に贅沢禁止令なるものが出され、当時の人々はお上にバレぬよう下駄だけ高価なものを履いたり、着物の裏地だけ高価なものに換えたりしていたみたいです。そして当時は一点豪華主義が「粋」であるとの認識だったようで、その思想が現在にも生きているんじゃなかろうかと。
反対に欧米では全身のバランスを取ることが重要視されているようなので、一点豪華主義なんてのはほとんど無いみたいです。そのため若者がハイブランドのカバンとか財布を買うなんてことも滅多にないみたいですね。
振り返ると学生の時で言えば全身スウェットだけど財布はヴィトンみたいな、社会人になってからでもヨレヨレのスーツ着てるのに腕時計はロレックスとかオメガみたいなパターンの人はけっこう見かける気もします。
のすけ も例に漏れず、革靴だけ高価、みたいな服装をしがちです。ユニクロのジーンズにオールデンみたいな。
オールデン履くならブルックスブラザーズのスーツを合わせるくらいが、バランスとれてるような気もしますが、手持ちのスーツでブルックスブラザーズに見合うくらいのスーツは一着くらい?
スーツも腕時計もそれなりに好きなんで、他の同世代よりはお金かけているつもりですが、やっぱり靴に比重がだいぶ偏っているのは否めません。
持ってる革靴からしてインコテックスのパンツやラルディーニのジャケットくらい持っててもよさそうなもんですが、我が家のクローゼットにそんなもんは入ってません。
ただ、逆に全身ブランドで固めるとそれはそれで嫌味な感じがするというか、それこそ格が足りないんじゃないかとか思っちゃうんですけどね。
そもそも、革靴自体好きだからこんなに履いているわけで。こちとら「おしゃれは足元から!」みたいな言葉に惑わされて革靴を履いてわけじゃねえんだぞと。そういう強い心をもって生きていきます。
つくづく靴が好きなんだなと思い知らされました。
まとめ!
分不相応な革靴を買っていいものなのか、というところから始まりましたが、振り返ってみれば既に分不相応な革靴を持っていました。なんだ、それならなんも気にする必要なかったんだ。
所詮は趣味ですし。誰に迷惑をかけているわけでもなし。他の人からどう思われようが革靴が好きなんで買い続けますし履き続けます。
のすけ はこれからも胸を張って生きていきます。
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